Bow-wow!No.20_ペットロス


何をしても涙があふれてくる。
何もしなくても涙があふtれてくる。
ベルのことを思い出すだけで・・・。

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今ではもう大丈夫であるが、ベルが死んだ後の@noriは普通ではなかった。
あれがいわゆる「ペットロス」というものであったのであろう。
普通の状態ではなかったと今となっては考えられる。

でも、愛犬を亡くした人にとっては、当然の反応でもあると考えるのだ。

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ベルが死んで、ベルのははもかつクンも大いに悲しんだ。
涙を流し、ベルの死を受けとめた。
そして苦しみから解放されたベルのことを『よかった』とも思えた。

ベルはその死の数週間前から歩けなくなり、病床に臥せっていた。
夜中、早朝など何度も何度も苦しげに啼いていた。
獣医からは今年いっぱいはもたないとも宣言されていた。

家族はベルが苦しむことなく安らいで逝けるように願っていた。

@noriもそう思う反面、野心じみたことを考えていた。
西洋医学では手の施しようのないベルの病であったが、@noriは東洋医学に希望を託していた。
東洋医学でもって、ベルと、来年の桜、13歳の誕生日を迎えることを目標にしていた。
ガンは治らなくてもいい。
ガンと一緒でいいから、生き続けてほしい。

@noriと家族の思いの違いはこのあたりであった。

だが、ベルは思いもかけずあっけなく逝ってしまった。
家族はベルの苦しみが取り除かれたことについては、悲しいながらもホッとしただろう。
しかし@noriは、あきらめ切れなかった。

@noriにとってはベルはまだまだ生きているはずだったのだ。
新年を迎え、冬を越し、桜を見、13歳の誕生日を迎え、『こんなにベルはがんばった。こんなにベルとがんばった』と獣医を見返してやりたいと願っていた。
しかし、そんなドラマみたいなことは起こることもなく、あっさりとベルは逝ってしまった。

ベルのははもかつクンもベルの死はとうに覚悟していた。
対して、@noriはそんな「覚悟」は放棄していたのだ。
ベルが生き続けるばら色の未来を夢見ていたのだ。

それゆえ、家族にとって予想されたベルの死は、@noriにとってみれば「突然」の死であった。

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@noriは後悔に苛まれた。
食べないベルに、無理に食べさせていたのは@noriだった。
嫌がるベルにマズルをつかみ、薬を与えていたのも@noriだった。

生き続けると、生きてほしいと願って、ベルにとって嫌なことをしてきたのに。
こんなにあっけなく逝ってしまうなんて。
死ぬとわかっていたら、無理やり食べさせたりしなかったのに!
死ぬとわかっていたら、薬なんか飲ませたりしなかったのに!

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ベルが死んだ翌日、荼毘に服すため1日仕事を休んだ。

心というコップに「悲しみ」が注がれていた。
家族は「悲しみ」の中にあって、ベルを見送った。
それはきっと数年かけて蒸発していくものだったろう。

@noriの場合、心のコップに注がれた「悲しみ」はぎりぎりと表面張力を伴うほどになっていた。

何をしても、ベルを思い出し、コップの中から悲しみがあふれ、涙となった。
食事をしていても、最期、食事の採れなかったベルを思い出し、涙した。
無理に食べさせてごめんと涙した。
いつもゆったり横になっていた台所の片隅にベルの姿がないのを見て、涙した。
ベルの残した「おやつ」を目にして、涙した。
床についても、ベルが啼いていたことを思い出し、涙した。

忙しくしているときは、大丈夫だったが、ベルを思うと涙があふれた。
それはそれは、かつクンもあきれるほどに簡単に涙があふれた。

泣き虫の父、@noriであった。

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翌日も悲しみの中にあった@noriは仕事を休んでしまった。
朝から一日、ベルを思い出すたび、ずっと泣いていた。
食事のときは相変わらず、ベル、ごめんと、涙していた。

何もする気が起きなかった。
これが、ペットロスというものか。
なんという喪失感。無気力。悲しみ。

ベルを思い出しては、涙していた一日であった。

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できれば翌日も仕事を休みたかった。
が、さすがに休めなかった。
だが結果的にはそれがよかったのである。

仕事中にはベルのことを思い出す余裕もなくすごすことができた。
うるうるすることもあったが、落涙することはなかった。

良かったことを考えるようにした。
ベルはもう苦しむことはないのだ。苦しんだ時間は短かったのだ。

帰宅してベルのははに言った。
きょうは泣かなかった、と。
それでも夕食のとき、自然に涙が潤む@noriであった。

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ペットロス。
もし、無気力感のためさらに一日休んでいたら、前日と同じようにただただ泣いてすごしていたであろう。それでいつまでたっても仕事にいけない状態であったかもしれない。
無理をしてでも、平常の暮らしに戻るのがペットロスの対抗策かもしれない。
そして、泣きたいときに、気が済むまで泣くのだ。

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悲しみの表面張力はおさまったが、心のコップの中にはまだまだ悲しみがたっぷりと残っている。
すべてがいつか蒸発するのかなと思っていたが、そうではないようだ。
悲しみは熟成し、やさしい「思い出」になるようである。

そりゃ、ときどきは悲しみに浸るときはあるだろう。
でも、かわいいベルは、かしこいベルは、確かに思い出の中に生きているのである。
あのきらきらの目をいつでも思い出せるのだ。




Last updated: 2010/12/31
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